みなさん、こんにちは。
最近は、日々革に関する記事ばかりアップしているので、
たまにはどうでも良い独り言をつぶやきたいと思います(*^_^*)
少し前に、ブラックホールの撮影成功が話題になっていましたね。
何を隠そう私、宇宙の話題が大好きで・・・
毎晩のように子供達と、ベテルギウスがまだあるか。
そして変化が起きていないかと夜空を見上げております。
そもそも宇宙が好きというか、
人間の一生について考え続け、すると時間と向き合う事になり、
それは光を相対的に考えるという事で、宇宙に辿り着くという流れです。
ここから先は勝手な妄想。
全てにおいて、人間が把握できているものは“中間”
人間の尺度において測りえるもの、例えば・・・
最も大きいもの(空間)よりも圧倒的に大きいものがあり、
最も小さい素粒子よりも小さいもの(世界)もある。
そこに生きる生命も当然存在する。
時間、速さ、長さなどその全て。
人間が頂点でもなければ底辺でもない。
とてつもなく大きい世界感とも見えるし、ほこりほど小さな(短かな)世界感と見える。
光が最も早いというのは、そこまでしか人間には見て感じる事ができていないだけ。
宇宙の歴史から見れば人間の一生なんて一瞬の灯。
セミの一生なんて比じゃないくらい、短い。
その世界感の中で生きていれば、80年は長く、セミの一生は短い。
でももう一つ大きな世界感(次元)で見れば80年なんて一瞬。
人生80年、死んだと思った瞬間に、たった一晩の夢から覚めるのかもしれない。
そこにはもう一つ上の次元の自分がいるのかも。
だから夢で死を味わう事ができないのかも。
鏡と鏡を向かい合わせたような世界。
真っ暗な宇宙空間は一晩の出来事。
永遠の太陽はシュッとマッチを擦った火花。
数え切れない無限の星々はほこり程度の世界の中で存在する“現在”なのかも
ブラックホール。
人間の視点から見たら、抜け出す事のできない“穴”に見えるが、
実は人間が存在するこの宇宙空間が“中”。
例えば風船の中のようなイメージ。
そこに針の穴が開く事がブラックホール。
ブラックホールの中だと思っている世界が実は外で、我々が中にいる。
針の穴ほどから見える外の世界なんて大きすぎて見る事も想像する事すらできない。
その穴に吸い寄せられているのではなく、勢い良く外に出て行っている。
勢いよく空気が出ている風船の穴からは戻ってくる事はできないし、
その外の世界からは、その穴があまりにも小さく、一瞬の出来事過ぎて、気にも留めない。
現在の世界、永遠のスパイラルの中で、
時空をつなぐ一瞬の出来事こそが、ブラックホールなのかも。
何が言いたいかって・・・
考えるのが好きで、特にはないけれど、
物事は尺度によって全く正反対のものともなり、
全てだと思っている事は、アリのしゃっくりにも満たない出来事なのかも。
どんな失敗も苦労も・・・
でも、一番言いたい事は、
こんな話、妻にしたところで全く聞いていない事実。